
慈恵医大の方から、夜の街の入口を抜け、スナック街の灯がちらほらと現れるあたりに、T字路がある。
右に折れ、二歩進めば、左下へと延びる階段が見える。
その階段を降りた先の左手――そこに「カラオケバーLAILA(ライラ)」はある。
ドアを開けると、白熱灯のような温かさが頬を照らす。
左手に六席のカウンター、奥に四名と手前に三名のボックス席がある。
壁には七色に変化するLED照明が埋め込まれ、まるで小さな舞台装置のように、客たちの笑顔を照らしている。
雰囲気が明るい。
とにかく明るい。
昭和の残像を残した「コマショ」の中では、異端とも言える新しさである。
開店して三年。にもかかわらず、古株の店に混じって、まるで最初からこの街に存在していたかのような佇まいだ。
だが、明るい。
店内が散らかっていないのも、そう思わせる理由だろう。
カウンターの中には、年齢不詳のグラマラス・ママが立つ。
その笑い声は、琥珀色のグラス越しに響き、カラオケのイントロと重なって、軽やかに宙を泳ぐ。
あと四十年経っても、その艶は変わらぬだろうと思う。
彼女が動くたび、酒棚のボトルたちが七色の光を反射する。
モエ・エ・シャンドン、ヴーヴクリコ、マッカラン、魔王といった、どこか“気合い”の入った銘柄が、まるで社交界の面々のように微笑んでいた。
その一角に、ココナッツの香りを閉じ込めた「マリブ」が一本。
この店においては少し場違いに見えたが、何に使うのか、次回は訊ねてみようと思う。
人生の秘密は往々にして、そうした小瓶の中に隠れているものだ。
JBLのスピーカーが二本、両翼のように構え、どの席からも見えるよう三枚のモニターが配置されている。
客がマイクを握ると、音は澄んで、空気を震わせる。
カラオケは一曲歌えばもう一曲歌いたくなる。
音と笑いには、ある種の魔力がある。
若いカップルが、常連らしい「どうもどうも」な気安さで入ってきた。
彼らは迷いなく曲を入れ、溜まったうっぷんを晴らすように歌い、店内の客全員を巻き込んで笑った。
この店には、性別も年齢も、あるいは人生の層も問わない“受容”の空気がある。
悩みを抱えた者が沈思黙考する場所ではなく、ただ歌い、ただ笑い、ただ飲むためにふさわしい場所である。
しかし、どうやら食事も美味しい。
この夜のお通しは、卵とほうれん草のグラタン、きんぴらごぼう、冷やっこ。
グラタンは、どこか家庭的でありながら、街のレストランを凌駕する出来だった。
この明るい空間の中で、それが静かな温もりを添える。
実際はアツアツも手伝って、少し酔いが醒めるほどの旨さだ。
トイレに入ってみた。
白い壁とウッド調のインテリアが落ち着いた調和を見せ、深い茶色のドアが空間を引き締める。
思いのほか広く、静かだった。
天井からは、もふもふの生地で作られたミツバチの群れが、回転しながら飛んでいるように見えるオブジェが吊るされている。
ママの小さな遊び心が、そこにも表れていた。
夜は更け、私は気づけばまた時間を忘れていた。
最終バスはとうに終わっている。
私は国領駅まで十分ほど歩いて帰ることにしたが、良い酔いざましだ。
笑いと歌声が、夜の闇を軽く押し返す。
そんな場所が、コマショの片隅にひっそりと息づいている。
LAILAは、コマショの細い路地に差し込んだ、ひと筋の明るい光であった。