狛江ショッピングセンターのあの象徴的なクランクは、いささか人の認識を攪乱する装置のように出来ている。慈恵医大の方から入ると、まず左に折れ、すぐに右へ折れる。そのわずかな方向転換のあいだに、現実の連続性はほんの少し毀損される。なぜか、真ん中に来た。と感じる。そこに、「りんご」がある。
店主はつややかな黒髪を持ち、どこかゆったりとした気配を帯びている。ここにいると、夏掛けの羽毛布団にくるまれたような感覚になりふんわりと居心地が良い。
ここでは樽生ビールが飲める。しかもハートランドである。好みの問題ではあるが、ビールの選択においてハートランドを選ぶという行為は、私にとってはとても喜ばしく、英断である。麦芽とホップと水だけ、副原料を排した構成。しかも麦芽100%、アロマホップ、さらにデコクション法という手間のかかる糖化法によって、旨味をじっくりと時間をかけて引き出す。説明だけ聞けばいささか古典的だが、要するに「誤魔化しがきかない」という一点に尽きる。そういう液体が、ここではごく自然に供される。

私は一杯を頼み、すぐに理解した。これは単なる飲料ではなく、空間の基準点である。味覚が定まると、周囲の雑多なものが統一された輪郭を持ち始め、世の中の仕組みが急にわかってきた感覚に至った。
店内には細々とした物が無数に置かれていて、一見すると雑然としている。しかしその雑然は、乱れや崩壊ではなく配列の別名である。モニターには海外の風景が映り、JBLの天井スピーカーから音が降りてくる。さらに、常識外れの性能を持つスーパーウーファーが足元に鎮座している。足載せに触れていると、低周波が身体に伝わり、ぶるぶると振動する。体脂肪が減る。疑うよりも、振動を受け入れた方が話が早い。
普段はヒーリング音楽で衝撃を緩和しているというが、ひとたびドラムやベースの効いた曲が流れると、状況は変わる。微細な地殻変動のように、店内の物がわずかに移動しはじめる。コップも、灰皿も、そして客の認識も、ほんの数ミリずつずれていく。これはおもしろい。
カラオケはDAMで、選曲に不足はない。問題は何を歌うかどうかであって、振動でどれくらいモノがずれていくかは選曲次第だ。試に10曲くらい歌い比べてみたいが、今夜はやめておこう。
開店から十年。だがこの店の特筆すべきは、時間の長さではなく、そこに集まる人間の層である。高齢と言えば簡単だが、むしろ「蓄積」と言うべきだろう。彼らは互いの誕生日や記念日を祝し、贈り物を交換する。その行為は商業をわずかにはみ出して、関係性の接続装置になっている。麻雀や飲み会、ゴルフの計画がここで立ち上がるというのも、当然の帰結である。つまりここは、単なる飲酒空間ではなく、「居場所」という機能を過不足なく実装している。
開店直後に入ったはずなのに、気づけば満席だった。空席が埋まる速度は、重低音の伝播とどこか似ている。
常連の中には「夜の帝王」と呼ばれる人物もいるらしいし、さまざまな伝説を帯びた客が出入りするという。伝説とは、事実が時間によって増幅されたものだ。私には伝説がない。あるのは借金だけである。この非対称性は、なかなか修復が難しい。酒が進む。
それでも、ハートランドをもう一杯飲むことはできるし、ショットで別の酒に切り替えることもできる。ボトルキープに縛られない自由は、なかなかありがたい。
帰ることにした。レジェンドたちに軽く会釈をして店を出る。クランクを抜けると、方向感覚が元に戻る。しかし、完全ではない。ほんのわずかなズレが残ったと感じた。

歳の取り方は重要である。そのことだけが、はっきりとわかった。誤魔化しの効かない材料で構成された時間を、どう醸造するか。注意深く選び取らなければ、ただの薄い液体になってしまう。私はその点について、まだ試行の途中にある。
今回訪れたお店:りんご